花開萬人集 花盡一人無
但見雙黄鳥 綠陰深處呼花開けば万人集まり 花尽くれば一人なし
緑陰深きところ 遠田潤子
ただ見る双黄鳥 緑陰深き処に呼ぶを
孤独な老人の三宅絋二郎宛に、かつて自分が愛した睦子とその娘を殺した兄から絵葉書が届いた。その葉書がきっかけで、何年経っても兄を許すことができなかった絋二郎は兄を殺すことを決意し、葉書の送り元である大分の日田に車で向かう。その道中で無一文の若者リュウと出会い、共に日田に向かうことになる。道中で次第にお互いの過去が明らかになる。日田に着くと既に兄は亡くなっていた。
冒頭に引用した漢詩はこの小説の中に度々登場する、兄からの絵葉書に記載のあった漢詩だ。広瀬旭荘の漢詩の一節だそうだ。栄えている時は人が寄ってくるが、一旦落ちぶれると誰も寄ってこない。変わらず来てくれる人こそ真の人だ。と作中で主人公の絋二郎がリュウに対して解説してくれる。この漢詩がそのままこの作品の主題であると思う。この作品には様々な人物の孤独が描かれている。かつての恋人を想い続ける老人の孤独、施設で育ち母親との縁を切った若者の孤独。殺人者として罪を償った者の孤独。そんな人たちが最期をどのように迎えたのか、迎えたいのか。全体として暗い雰囲気のまま進んでいく物語だが、最後には頑固者だった絋二郎はリュウに救われたことを素直に感謝を告げるシーンに感動した。絋二郎は人生を棒に振ったことを後悔し、リュウはがんのステージ4で余命わずかという状況で一見すると悲しい結末だが、どんな人たちにも救いはある、そう思わせてくれるような新しいハッピーエンドの形だったと思う。
「ひとつ教えてやる。未来のない人間の時間は、過去に向かって流れていくんや」
緑陰深きところ 遠田潤子
過去に囚われるのはやめましょうというリュウに対して絋二郎が言い放った言葉だ。この言葉が強く印象に残った。時間とは不思議なものだと思う。確かに時間は巻き戻ることはないし、常に1秒1秒未来へと時を刻んでいる。しかし、実際のところ多くの人達が過去のトラウマや出来事に囚われて、どうしようもない瞬間を反芻したり、次の一歩を踏み出せないでいると思う。(私もその一人だ)これはまさに過去に向かって時間が流れていると思う。時間は一方向性ではないという考えが面白いと思ったし、それだからこそまさに今この時が大切なのだと思う。大きな後悔、大きな幸せそのどちらにも繋がる。時間とは面白いと改めて思った。